やる気

   

Pocket

 

絵をまともに描かなくなってもう3週間くらいたった。

といっても、「まとも」に描いたのがいつだったのかもう覚えてないくらい前だと思う。。

年賀状も出来た時はああ終わったと思ったけど、自分の頭の中を紙に写せてないからクソみたいな出来だったし、続きなんかを描きたかったのにそのまま一か月以上放置しているし、あれを描いているあいだは全く他の絵が描けなかった(物理的に)ので、まともに……というか「スランプではなかった」、「のではないか」と言えるのが去年の9月くらいの話。

 

 

……描けなくなったのではなく、たぶん自分から描かなくなったのだと思う。

きっと描けると思うんだけど、なにか自を止めている何かがある。

全く描けないわけでもないし、つい一昨日もほんの少しだけ絵を描いたが、その絵すら信用できない。

 

頭の中がとんでもない状態になっている。絵を描いたり描かなかったり描かなかったり。

つまり落ちたり上がったり。頭に全く体がついていかないので、夜はすぐに眠くなるし、朝は起きられない。出掛ければすぐに眠くなる。たぶん今の自分なら数日間寝ていることも可能なくらいには眠れると思う。

 

絵を描きたいと思う心はあるが、またどうしてもこの先一生絵を描かないんだろうなと思う心もある。というかむしろ、今の自分にはそうなってくれと思う心すらある。

自分の絵がとにかくわからない。個性とかそういう話と似ているとは思うんだけど、個性とは少し違う気がする。

自分の絵の中にある何かが根本的に変わろうとしている気がする。恐ろしくてたまらない。

絵柄の変化や、それだけじゃなく自分の変化を柔軟に受け入れられるタイプの人間だったらよかったんだけど、モタオリという存在がある以上「モタの絵」というのは絶対に変えてはならない部分だ。

でもいまそれが変わろうとしている。自分の何もかもが入れ替わったような気持ち悪さにずっと襲われている。前何を考えていたのかがまったくと言っていいほど思い出せない。

 

感覚が失われていくのがとても怖い。

感覚によって成される世界は感覚がなくなったらなくなってしまう。なんてとんでもないもんを作ってたんだと、キャラの「描き順」を忘れるたびに感じている。

描き順ってなんなんだろうなって自分でもたまに思う。

 

自分のスランプの定義は基本的に「感覚を駆使して描いているキャラ(モブでも)を、正確に素早く描けない時」という感じで、とにかく範囲が広い。

ちょっとでもなんか違和感を感じたらスランプと勝手に認識されるようになってるクソ仕様だ。先述の描き順が違った日なんかはすぐに心に警報が鳴り響いてネガティブワードのお祭り騒ぎが始まる。

服しわが描けなくなるとさらにやばいし、そもそも描き順と服のしわと顔の違和感以外でスランプになることはそうそうない。

 

たぶん焦らなければ、落ち着いて別の線を探していけば、きっとまた描き順を思い出すかもしれない(実際思い出せたことはあるし)のに、とにかく自分を追い詰めるのが好きなので、早く描けと勝手に命令を下す。

もうなんかこういう風に自分でわかってて書いてる時点でもう思い込んでるし、思い込み激しいクソ仕様の頭にしっかりと思い込みとして刻まれている証拠。

 

昔、というと相当昔のうごメモ時代の事だが、こんなこと考えたこともなく、スランプというのはかまってちゃん的な意味合いだった。わざと絵柄を変えて描けなくなったと言い張ったりとか。クソが。

ある年が明けてからうごメモのギャラリーの方を少し離れて、とにかく落書きしたりしてたことがあった。

ブログを開設した時期よりちょっと前で、それと同時にTwitterを始めた。特に絵が変わるとかでもなく、調子が悪いなーと思う事は普通にあったものの、間違った(?)自分らしさをいいように認識してた時期なので、スランプになるとかはなかったと思う。

 

本格的に「本当の」スランプを意識し始めたのはその年の10月で、自分らしい絵が何なのか本気でわからなかった。

個性こそ大事と思っていたので、数の増加に連れて顔面が無個性になっていくモタオリに耐えきれなくてスランプになった(ペンタブが合って無くて買い替えを考えていたのもあったけど)。

モタオリ内にしては知名度の高い(適当)かの聖女氏の顔があまりにも個性がないと思ったのがきっかけだったと記憶している。

 

年末年始ではだいぶ上がったけど、それでも心に「絵が描けない」という概念がかなりくっきり刻まれてしまったのがこの時だったと思う。

 

まあこの先は言わずもがな、とんでもないスランプの時期だった。

語るのがマジでいやなので書かないけど、たぶん絵が描きたいという欲がまだちょっとはあった以上今よりはだいぶ状態は良かったと言える(絵以外の精神状態は中二のころ体を壊した時のそれに匹敵するヤバさだったけど)。

そして先述の通り一応9月ごろには上がったものの、やはりスランプというものとは常に隣り合わせで、たとえ一晩だけでも時間を置くと「描けなくなってしまうのではないか」とか思ってどんどん精神が崩壊して実際に描けなくなってしまうレベルだった。薬物かよ。

 

今はもっとひどい。トイレ行く前はまあまあ絵描けてたけど、今は描けるかな?みたいなレベルの話だ。薬物依存の人もビックリ。

 

……何が言いたいかっていうと、たぶんあまりにも極限状態すぎて、絵に立ち向かっていくことが出来なくなっているのだと思う。

それでもモタオリは存在しているわけだし、数年やり続けたことを急にやらなくなるっていうのもきつい(まさに今の状態)わけで、描きたい絵はいくらでも出てくる。

ただでさえ手の付けられないものがもっと肥大化していってしまうんだからもう救いようがない。

 

自分は「続けようと思えば続くし続ければ続くけどちょっとでもできないと全くできなくなる」という体質というかそんな性格で、とにかくこれのあつかいがわからない。

いきなりやるのもなんだか歯がゆく気持ち悪いと思っている。ただ、逆もしかりとはあんまり言えない。タチが悪い。

絵も1日描かないと数日描かなくなってしまう。昔はこんなんじゃなかったんだけど。

先述の通り「数時間でも置くとヤバイ」状態なので、数日置いてしまえば絵を描くのに恐怖するくらいだ。描きたいのに。

そんなこんなでそんなことを繰り返して今のどん底よりもっと下の下くらいの状態に至ってる。

 

学校行かなくなって自分の時間がとにかく自由になったし、絵にだけに興味を持っていたけど、学校の時間分その他にもつぎ込む余裕ができた。だけどそれが長く続きすぎ&興味のあるもの増えすぎでどんどん飽き性と三日坊主がひどくなったのかなと。

たぶん「全部の事をやりたいけどできない悔しさ」から無力に繋がっているんじゃないかと思う。

全部の事できて有り余るくらい全能な人間に生まれて来たと思い込みたかったんだけど無理だった。

 

そんなわけで、絵に対してもやってることはどんどん追いつかなくなっていって諦めてしまった。

 

正直安っぽいので言いたくはないが、ちょっとタヒにたくなることもあった。

それはまだ絵が描きたいというか心残りである証拠だと思っていたけど、じつは絵を描かず別の事に専念していた一昨日と昨日は全く何も思わなかった。

 

本当に絵には戻れないんんじゃないだろうか。

そんなことをこの絵のブログで言うのもとんでもないことだけど。

 

本当に絵を描く行為が何なのかわからない。

自分が絵を描く行為が何なのかわからない。芸術とかそういうのとはきっと違うので同じにしないでほしい。

それでも表現したいと思って描いてるというほど熱意があるような感じともまた違うので。

そもそもそんなの分からなくてもいいのだと思うけど、どうしてもひっかかる。

 

 

今日は何時間寝ることになるんだろうか。

読み返ししてないし思ったまま書いただけなのでヘンでも終わりです。さようなら。

 

 

2019/2/11

Pocket

 - 未分類