作者邸と意識の館の構造
2018/02/13
ご注意
この記事の閲覧に当たっては以下の項目にご留意いただきたい。※この一連の原文はTwitterで読めます
これまだ言ってねぇなって思ったから言っておく
意識界とか意識の館ってさ、脳みその中身を描いた話じゃん、っていうか脳みその構造そのもののお話ってことになってるんだよ。
作者邸とかの作者構造はまぁ別として。— モタ・T@ブログ/イラスト/紅龍伝美術D (@mota_kithi) February 8, 2018
・意識界・意識の館とは脳みその中身を描いた話であり、脳みその構造そのものを表している(作者構造はほぼ別)。
・但し、この意識界が本当の脳みその構造になっているという事を主張したいわけではない。あくまで創作としての面白さを求めて描いているものである。
・科学的に考えろと言われようが、デカルト劇場と呼ばれようが、機械の中の幽霊と呼ばれようが構わない。寧ろ製作者もそう思いながら制作している。
・もちろん「このような世界が本当に脳内で構成されていると信じたいか」と言われれば信じたいが、決して主張したり決めつけるようなことはしない。あくまで理想である。
・記事を書いてる人の本来のテンションはもうちょっとアゲアゲな感じなんですけど今回はこれで行きまっせ
2018/2/13
意識の館・意識界
主意識(原作者)
意識の館の主、そして意識界の主でもあり(こちらは若干の諸説あり)、建前上最強の力を持っている。
この立場には複数人で立つことは原則的に不可能。※1
以下で説明する意識、その他意識の館を稼働させている者たちを操ることが出来、それによって気分や表情、物に対する考え方を変えたりなどする。ただし、主意識に感情は操れない。※2
しかし、意識を必ず完全に操れるというわけでもなく、意識に主意識が負けることもある。
こうなった場合は基本的に精神が不安定・病みがちになる(どの意識が勝つかなどで大分違い、一概に「こうなる」とは言えない)が、操ったり管理しきれない主意識の責任であり、主意識が意識を事実的に責めることはできない。
原作者とは、作者構造の頂点に君臨する、建前などなく最強の立場。
自分の創作した世界を自由に操ることが出来、作るも壊すも再生するも記憶の限り自在。
この原作者としての立場の場合は、キャラクターはもちろん意識も作者キャラクターも基本逆らうことはできない。
なぜなら、意識界は本当はこの形で存在しているのではなく、あくまで原作者がその存在を可視化できるよう構造化したものであるからだ(=意識界とは元キチがその存在に気づいてから作られたものなので、元からこうなっているわけではなかった)。
基本逆らうことはできないというのは、意識界で原作者としての立場を出すのは無理だからである。
もちろん意識界で創作世界を操る=原作者としての力を行使することが出来るのは当たり前だが、意識に対して原作者として振る舞うことはできない、ということだ。
意識達ももとはキャラクターなのだから、やろうと思えば力の行使はできるが、意識として確立されたキャラクター(他の目から見ればモタ・Tが所有するキャラクターであるが)というのは
意識界に入りその構成員になった時点で、原作者からすればもうキャラクターではない扱いになるため、作者構造としての力は及ばないのである。
ただし上記の通り、主意識としての立場を行使すれば意識を消せる。ただ消すことはほとんどない(人格に欠陥が出るし負担がかかる)。
2018/1/26
代表的な主意識・原作者:元キチ
意識
無意識
作者構造~キャラクター
原作者
上記「主意識(原作者)」の通り
ただし、作者構造においては原作者という呼称ではなく、作者という呼称の場合も
作者キャラクター
キャラクター
※1 その人間が多重人格であれば、二人いる場合も考えられるだろう
ただし、主意識ではなく意識が人格になることも考えられる
2018/1/26