コピックとアナログのカラー作品についてのはなし

   

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先日、twitterでこんなことを呟いた。

 

2015年2~3月ごろ、当時の俺は自由帳の中に数枚のカラー絵を描いた。

基本的に自由帳では、というかそれ以外でも普通の落書きには着彩しないタイプだったので珍しいことであったというのは補足しておく。

 

バンブラPでダウンロードした楽曲を聴きながら描いていたなあ、ということを明確に覚えている絵が一枚ある。

暗い部屋でデスクライトだけを点け、狭い机とその横の収納ケースの上で自由帳と色鉛筆とクーピーを広げていた。用事があったため夜遅くに帰って来た母にドアを急に開けられて飛び上がってしまうほどびっくりさせられたその時の事をやたらと覚えている。

 

「あ、そう。で絵は?」となるところだが、実はこのカラー絵、ひいてはアナログ画材で色を塗った絵を作ることに関しては、さっと絵を出して解説して終わりというわけにも行かない理由がある。

「詳しいことはまたこんど書けそうなら」と都合のいい文言で締めたのは、その詳しいこととやらをこのブログである程度しっかり書いてやろうと思ったためだ。

 

 

なおこの文章は、3月下旬~4月上旬辺りにツイートしようとしたものやブログを書くために残したメモや文章があった上で、GWの時期にある程度新規に書き下ろしている。

自身の中の触れたくはないが創作的に重要で残さねばならない場所を掘り返し、踏み荒らさないようにそれらを文章として仕立てる作業はかなりむずかしいし、疲れる。
先述のメモを流用・再構成した部分もあるためやや文面のテンションが上下するかもしれないが、現状残せる形でまとめたということでご了承いただきたい。

 

 

さて早速だが、モタ・Tが作ったアナログ画材で色を塗った絵(長いので以下「アナログカラー絵」)に関連する話は、個人的に語りにくい理由があり今までしっかりと触れることができなかった。

 

俺は、色塗りが異常に下手くそなのである。
(「アナログのカラーが下手くそ」と書こうとしたが、デジタルもかなり稚拙で独特な方法で塗っている自覚はあるので色塗りそのものに対して言っておく。ただし今回書いていくのは基本的にアナログ側に関することのみ)

 

貼ったツイートを読んでもらえればだいたい分かることだが、本当に下手くそなのだ。幼稚園児でもまだ俺より上手に塗れる子がいるかもしれないと思うぐらい、とにかくセンスがない。

 

画面の前のあなたが子供だった頃、色鉛筆で塗り絵をした時のことを想像してほしい。
はみ出さないように先に塗りたい部分の線の周りに色を塗っておくとか、絵心のある人ならある程度ブロックを分け、ハッチングみたいに少しずつムラにならないように塗って重ねていくなどしていただろう。

 

俺はそういった事ができず、中学生も目前になってがちゃがちゃと塗りたくるタイプだった。

 

「例を出されないと分からない」と聞こえた気がするが、ちょっとまだ公開の目途と覚悟がついていない。それほど酷い。正直言って直視もできない。

 

当時は筆圧ゴリラだったが、色に関しては一応濃淡はつけられていなくもない。がちゃがちゃと塗りたくるといっても極端にはみ出しているというわけでもない。
ただ平気で塗りムラを起こしており、線のストロークがおかしい部分がある。

 

たとえば普通の思考の持ち主なら、ズボンの色を塗るときは縦長の形に沿って、縦に長いストロークで色を塗っていくと思う。

なぜかそこに斜めが入っているのである。なんで?

 

広がったスカートを塗るとしたら、円錐の形に沿って放射状に色を塗るようにするだろう。

なぜかそこに横(直線)が入っているのである。なんで???

 

あと髪の毛の塗りがヤバい。いやあの、ヤバいとしか形容できない。なんというかちょっと可哀想だとすら思う。
ただまあ、髪に関しては2025年現在でも未だにまともに描けたためしがないのでひとの事を言っていられないのだが(お前だよ)

 

 

肝心の絵がないので何とも言えないかもしれない。とりあえず、本当にひどいのだということは伝わっただろうか。

 

 

ところでここからだいぶ話が逸れるが、ここからの出来事を書かねば俺のアナログカラー絵に関する遺恨のようなものの続きも書けないので許してほしい。

上で書いたような、色鉛筆による絵に嵌まっていたほんの少し後の話になる。

 

 

2015年4月7日、中学校の入学式があった日のできごとだ。

この日の細かいことや前後関係みたいなものはもう確実な記憶が残っていないため、うろ覚えで振り返るような形になるが……

 

入学式が終わった後、本当に式が終わってすぐ、まだ制服も脱いでいなかったタイミングだ。なんならまだ家に帰ってすらいなかったかもしれない。
母の携帯(当時はまだガラケーだった)に連絡が入っていて、式の後に折り返して連絡したんではなかったか。

どうも、どこかで何かを頼んでいたものが用意できたらしい。
いったん家に帰りはしたはずだが、ちょうどいいから制服のままで出てしまおうということになり、今から行きますと通話を切った母に「文具屋」という行先だけ告げられたと思う。

 

その時俺はなんとなく何かを察した。
たぶん、アレじゃねえかな。

 

 

……先述したような色鉛筆でのカラー絵を描こうとした明確なきっかけを覚えているわけではない。数枚ある中で、どの絵が最初だったかも覚えていない(ただカラ―に関しては日付が残ってた気がするので、また調査する)。

 

が、きっかけの一つになったであろうものがある。

当時、「アナログ絵師たちの東方イラストテクニック」という書籍が発売されたばかりだった。

 

最近はそもそも版権作品に触れること自体ご無沙汰だし仮に描いても表に出さないが、当時俺は東方projectにハマっていた。
というか今も好きだ。フランドール・スカーレットというキャラが好きなのは当時から全く変わっていない。カラフルな宝石の羽、狂気、能力、裏で姉を「あいつ」呼ばわり。かわいい。

 

話を戻す。そんな東方にわかだった当時、今ほどイラストの技術書が溢れていなかった棚の前で、東方好きな友人と書店でその本を見つけた時に大興奮したのをよく覚えている。

棚から引っ張り出し、表紙に印刷されたレミリアとフランドールのイラストを見て、タイトルを二度見して仰天した。

 

「アナログ」!!!?!!?!

 

どこをどうみてもデジタル、いわゆるパソコンのCGソフト等で描かれた絵にしか見えないその作品のページを探し、紙面いっぱいに印刷されたそのイラストを見つけて、また仰天した。

 

俺はそのページで、「コピック」というものを知った。

 

漫画家志望の子なんかは、カラー原稿によく使われるらしいコピックにもっと小さい頃から憧れたりしているのかもしれない(こないだ、コピック売り場でそんな感じの小さな女の子がお母さんとちょっとモメているのを目撃した)が、俺はそういうタイプではなかったのでこうして知ったのだ。

そして憧れというよりも「こんな塗り方ができる画材って、一体どんなものなんだ?」という好奇心のようなものが湧いてきた。

その本屋でだったかネットで買ったのかはっきりしたことは覚えてないが、書籍は今も我が家の本棚に入っている。

 

まあ、カラー絵を唐突にやり始めたきっかけはそれだけではないと思う。

「小学16年生」で書いた通り、当時はとある要因で創作関連には無駄に熱心だったから、調子に乗って新しいことを始めてみたかったって動機の方がデカいだろう。
もしくはコピック使いたい欲が膨れていたけどないことにはどうしようもないから、とりあえず手近な画材で発散してたとかそういう。

先述した書籍の中には色鉛筆でのメイキングのページも存在している。が、それらを参考にして描いている様子はない(もしそうじゃなかったとしたらなんなんだあの絵たちの有様)

まあ元々天邪鬼かつ無駄に我が強いので、技法書など買ったところで眺めるだけでおしまいで、結局自分のやりたいようにしかやらないのだ。これは今も昔もあまり変わっていない(一時期かなりブレたこともあったが)。

 

 

……かくして俺は、慣れない制服のまま向かった文具屋のカウンターで、俺のために取り寄せ(取り置きかも)されていたコピックチャオのAセットと向き合った。

嬉しさに落ち着きのなくなった俺を、母と店員さんが笑っていた気がする。

 

 

(Twitterでは4/6に書いてしまったのだがこれはおそらく間違い。まあちゃんとした資料を調べたわけじゃないのでまだ曖昧だが……)

 

しかしそんな有頂天になった記憶は残っていながら、初めて使用した時の感覚は全然覚えていない。なんでだろ。

画用紙とか買って帰った?自由帳に試し描きした?
初期は百均の画用紙を使っていた。そこから切り抜いた作品群も残っているが、一番最初からそうだっただろうか。

だからといって家のコピー用紙なんか使わせてもらえなかったと思うし、その辺は謎に包まれている。まあ当時のアナログ絵に関してはまだまだ調査しきれていないところがあるから、これからまた何か分かることがあるかもしれない。

 

一応、結構よく覚えている事として「結構にじむなぁ!」「なんでこんなにピンクと紫の割合が高いんだ……色は沢山あるけど使い勝手がよさそうな中間の色や自分の好きな系統の色のチョイスが微妙……」と感じていたというのがある。やっぱりどうでもいいことしか覚えていない!

たぶん他のセットも買わせるための戦法だろうな、と子供ながらに思っていた。なお、少し後にまんまとCセットを買いました。

 

(なお、現在はA~Eセットの形態での販売は終了している。見てみたい人はコピックの公式サイトから「生産終了製品」の項目に飛ぶとどういうことか分かるぞ。今だったら、CかBから買う)

 

 

今や書店でも売っている所を見ることがあり、初心者向けの書籍やセットも充実しているコピックだが、購入当時はまだプロ向け、ガチの画材といった雰囲気で文具屋や画材屋などの専門店にしかなかった(田舎だからかもしれないが)。

2013年版の折り畳みのパンフレットを持っているが、今の若い子向けや絵描き向けの雰囲気はない。コミック向けに作られたスケッチ、その廉価版のチャオも掲載されているとはいえ、どことなく硬派な感じを受ける。

 

さて冒頭でさんざんわめいた通り、俺はアナログカラー絵が異常に下手くそだ。

つまり、そんな人間にそんな画材を使いこなせるわけなどなかったのである。

 

 

コピックを始めたい初心者に向けてよくアドバイスされることがある。それは「慣れないうちは濃い色は使わないほうがよい」「最初は薄い色から揃えたほうがよい」というものだ。

セット購入だったためそれらを色選びに反映することはできなかったが、そういった話は知っていた。

 

知っていたのに、バカクソ濃い色をたっぷり使って作った絵が残っているのである。

正直、この記憶からコピックに真っ向に向き合えないまま数年経ってしまった部分が大いにある。

 

※多分普通は黒歴史だと思ったらさっさと捨てて記憶もきれいに洗い流してしまうのだろうが、無駄に向き合おうとするタイプなのでそういった初期の絵も一切捨てていない。現存している。

 

自分の絵の描き方に関することは適当な言語化をしたくないのだが、俺は「モノの色」というのを強烈に捉えているらしく、影や環境の色をほとんど考慮できていない自覚がある。

「見たままに塗る」などどうやったらいいか見当もつかない。思ったまま塗りたくても頭がモノの色を優先する。頭の構造的にどうしようもないのだと思う。

 

例えばコピックで濃い赤を塗りたいとき、ピンクと赤を一応用意はするものの大半赤で塗りつぶすという、アナログ絵を完成させていくに当たってはだいぶ絶望的な行動をなんのためらいもなく取るのだ。

当然、影にあえて色相の違う色を使うなどという気の利いたこともできない。人の顔に緑色を使うとリアルになる、というのを図工の先生と共に実演してみせたセンスはどこに行ったのだろう。

 

なおこれらはデジタルならいくらでも、いつからでも調整が効く。コピックでも薄い色であればブレンダー等での修正、他の色でカバーすることも不可能ではない。
逆に言うと強い、濃い色になればなるほど修正が効かなくなる。

だからこそ「初心者は薄い色から揃えたほうがよい」というアドバイスがある。薄い色同士でも重ね塗りや混色をすれば濃い色を作ることも可能だからだ。

それを事前に分かっていたうえで、描く時には全部忘れて、使いたい色がないと言って、それに近いバカクソ濃い色を使ったのである。

 

終わっている。

 

ここまで不正解を連続で叩き出せていたことに、早いうちから気づいてはいた。
しかし例えばもう飽きたんだ、挫折したんだ、と言われるのは不服が過ぎるのでコピックを使い続けていた。コピック自体はいいものだし、この画材を使いたい、活かしたいというモチベーションもあったからだ。残暑見舞いをコピックと色鉛筆で描いて出したこともある。

 

しかしまともな作品の制作は購入してから2年ほどで終わり、それ以降はコピックも、色鉛筆も、ほとんど触らなくなってしまう。

不正解と惨状を生み出した人間が、その延長線上で描こうとしているということに耐えられなくなってしまったのだ。

 

その後も文具店やアニメイトなどコピックを販売している店に行けば購入することもあったが、3~4年ほど前にカラーレスブレンダーのニブが死んで以降はおそらく、棚から出す事すらしていない。

 

 

というわけで、俺がアナログカラー絵を一切やっていないのは「下手なのを他人に指摘されてトラウマが……」「やっぱりできなくって挫折しちゃった……」みたいな話では全くない。

個人的な蟠りが処理できないままこじらせてここまで来てしまったのである。めっちゃ俺っぽくてウケる(真顔)

 

 

 

普通は失敗をしながらでも経験値を溜めていくものだ、失敗してもとりあえず完成させるという経験を重ねて技術になっていくのだ、とたくさんのえらい人たちが言ってきただろう。

 

俺はそれができない。
失敗していい作品なんざ一切ない。また、初めてやる事であろうが自分の合格点を越えられなかったという事実が自分の中に残ると、その後の興味を失うというのは絵に限った話ではない。

 

頭に思い浮かんだ以上それを汚すような形で描き出すのはできうる限り避けるべきだと思っていて、だから効率も時間も問わないで絵を描いている(制作時間は明確に測らないし制限したこともない。ワンドロなんか多分発狂するだろう)

これは他人がどう言おうと変えるつもりのないことだ。
やりたいからそうしている。非効率だの進歩がないだのと言われても、モタオリを作るにはそうでなければならないのである。

 

捨て作品、というと言葉が悪いかもしれないが、失敗してもいいしどうなってもいいからとにかく経験のために終わらせる作品を作ろうとすることもある。
しかしいつの間にか情が湧いて頭の中でどんどん考えを重ねたり、実際にしっかり作ろうとして結局失敗できないから着手もできない、なんてことを何度も繰り返している。

 

大抵の人間は別に失敗したって次があると思うだろう。もしくはいつか作り直してもいい、とも。

そんな選択肢は俺には無い。頭の中にあったものは、現実に引っ張り出そうとしてぐちゃぐちゃになってしまったその時点で「死ぬ」。

納得いっていないんだと製作後にうんうん唸っている絵はそれはもういくらでもある。それでもそれらのリメイクをしないのはつまり、描きたかったものが頭の中で死んでしまった以上、現実に描き出されたものが正解に成り代わってしまい、それ以上のイメージが出てくることはないからだ。

 

SNSなんかで「結局妄想ばかりで書けてないんじゃん」みたいな論調を、創作者を揶揄する意味合いでも創作者自身の自虐的な意味合いでも見ることがある。

俺はそういった考えが正しいとは微塵も思わない。
他人が勝手に言っているだけの「作品は完成させなきゃ意味がない」などというくだらない思想のために頭の中のイメージを殺してでも完成を目指すなど言語道断だからだ。
不必要な向上心など害でしかない!

イメージを殺してしまうぐらいなら何もしないで、しかし虎視眈々と機会を待っているほうがいい。俺は強く作りたいと思うものがあるときはそうして機会を待ってきた。ベクのキャラデザなんかがいい例だ。

 

タイミングが上手くハマると、一気に階段を飛ばして昇るように何かができるようになったりする。

子供のころからずっとそうだ。とりあえず気にしないでいたらいつの間にかできるようになったりある日突然コツを掴んだり、そういう生き方をしてきている。
まぐれ、運だけで絵を描いているとたまに言っているのはこういうことである。

 

趣味でやっていることでお金も要望も絡まない以上、これらを他人にとやかく言われる筋合いはない。俺の好きな、いけそうなタイミングでそこへ向かうだけだ。

 

 

急に関係のなさそうな話をして申し訳ない。でも関係がないわけではない。

つまりどういうことかというと、ただ放置していたのではないのだ!

 

三日坊主、宝の持ち腐れ、下手の横好き、弘法筆を選ばず。思い立ったが吉日。やりたいだけでは一生やらない。
そんな脳内の他人の声を振り払えたとき、過去にしまい込んだあの惨状を直視できるようになったとき、できうる限り正確な言葉であの時のことを残せるようになったとき、ふたたび俺の創作に役立てよう。

 

……などと無理矢理かっこいい書き方をしてみた。

考え自体に噓はないのだが、実際は「いけそうなタイミング」を待っていたというより「もうコピック歴10年のときにやるのがちょうど良さそうな時期になっちゃったからそこで区切りをつけよう」と待っていた、と書いた方が正しいかもしれない。

もっと正確に言うと因果が逆の部分もある。こういう節目でもなければ「過去の事を振り返って」「自分の中の蟠りを説明して」「やり直そうとしてみる」という一連の流れに割ける時間などなかったのだ。

 

 

そういうわけで、ここからは「やり直し」のお話である。

とはいえ、本当なら4月中に色々やるはずだったのが予想外の忙しさやトラブルで忙殺されてしまったため、大したことはできていない。
特に誰も待っていないと思うので了承を得たり謝ったりはしない。つーかなんなら誰より俺が一番にやりたかったのに残念と思っている。

 

偶然にも10年ちょうどで描いた絵。

まあツイート文の通りだが、当初は乾いていないかなど状態を確認するためだけに引っ張り出してきたので絵を描く気は全くなかった。
……が、マルチライナーの試し書きをしていたらつい(意志薄弱)

青いマルチライナーなんて俺の絵柄でどう使えばいいんだろな、と思っていたらこんなことになり、その下にもいつの間にか絵が……

 

しかしやはり髪の描写がヘンだ。でもこれはデジタルでもそうだし、なんなら線画でも頭や髪を描くのは得意ではない(だからいつも変な毛束や後頭部の形でごまかすしかない)。もはや克服する気がないまである。
なお、10年描いてきてこれなので10年前はもっとひどい。

 

ちなみにこの段階では既にカラーレスブレンダーはニブを交換し復活させてある。ほんと何年放置してたんだろうな。

 

こんな事を言っていたが、そもそも俺がコピックを知って触れてみたいと思ったきっかけは先述の通り「ぱっと見デジタルな絵を描けてしまうコピックっていったいどんな画材?」という所なので、そういう意味ではわざわざ使う意味があると思う。

まあコピックは発色が良すぎて適当な絵でも写真撮るとデジタルみたいに見えると気付いたのだが

 

 

この日に限らず4/7もそうだが、いろいろと描いた上での感想やらをアップと同日にツイートしている。
同じようなことを再構成して書く感じになるがご了承いただきたい。

 

こんな事を言うとクソデカフラグになると思ったので言っていなかったが、これは復帰1作品目にしようと思っていた。

なんと色決めの段階すらコピックからやろうとしてしていたのでかなり手間取った。なお左右どちらも本番ではなく、まだ色や塗り方の方向性を決めようとしている状態だ。
デジタルにおける自分の塗り方に近いものを再現できないか、と決めつけない程度になんとなく思いながらやっていた。

 

俺は筆圧の調整の効かなさでは右に出るものはいないと自負している。「とめ、はね、はらい」、特に「はらい」はできないと言いきってよいほどヘタクソである。

しかしそれらは字だけでなくアナログ絵にも必要になるスキルだ。本当ならスッと力を抜いて払うべきところを逆に力を思いっきり入れてしまうなどおかしな動作をするせいで、ズボンの左膝の部分やブーツのシワがめちゃくちゃなことになっている。

 

筆圧やにじみの制御も怪しい、どんな風に重ねれば思い通りに塗れるかもわからない初心者(大噓)なので、デジタルのように完全なやり直しは効かない紙面の上では試行錯誤ですら猛烈に緊張してしまった。
結果それぞれ2時間程はやったはずなのにこの程度しか進んでいない。好きな言葉は可逆性です。

 

なお「供養」と書いてあるように、もしかしたらこの絵には続きがない可能性もある。
だが使った色に関してはメモ書きでしっかりと分類し、しまい込まずに手の届く場所に置いてある。つまり無駄にはしたくないという思いはあるにはあるということだ。

 

 

今月出来たのはこんなもん。あとは乾いていた色にインクを補充してニブを変えたぐらいか。

本当ならここに当時のイラストのリメイク品も載せたかった。問題のバカクソ濃い色をたっぷり使って作った絵も、もしかしたら並んだかもしれない。

 

4月中に出来なかったのは残念だったが、4月が終わったからコピック月間(?)もこれで終わりなんてことはない。
今後もやりたいと思ったときにはちょくちょく引っ張り出して触れていくつもりだ。逆にやりたくならなければやらないかもしれない。

とはいえ、補充用のコピックインクを買いに行ったときに一緒に新しい色を買ったりしたのでモチベーションはそこそこある(はず)。

バカでかいカラーレスブレンダーのボトル(数年前買っといたはいいがいざ補充する段階になり調べたら直接本体への補充は出来ないと知ってエェェェとなった)を死ぬまでに使いきれるように頑張る所存。

 

 

そういえば上の方で書きたかったけどどこに入れるべきか分からない話があったので、ええ感じに結んでしまう前にここに書いておきたい。

そもそも、俺はどうやってコピックを手に入れるに至ったのか?ということに関して。
いやさっき散々経緯を書いてたじゃないか。それはそうなのだが、ここで書いたできごとの前段階について気になることがある。

 

コピックがなんかすごいらしい、使ってみたい、ということは、今とは真逆で猛烈なおしゃべりだった俺の事だからきっと母に話していたと思われる。
だが、このときはまだ明確に「買ってほしい」「買わせてほしい」と明確に頼んではいなかったはずだし、欲しい欲しいとは言っても親の了承も得ていなかったはずなのだ。

急にうごメモの話になってしまうが、2025/4/4の時点で「コピック買ってやってみたいんだけど誰かやってる人いない?Aセット買うつもりでいるんだけど」みたいなメモを作っている(確かUWGに投稿もした)。

文面的に、この時点の俺はコピックが手に入ることを知らないでいる。もし手に入ると分かっていれば、口だけじゃなく文章でもベラベラ垂れ流しだった俺の事だから絶対にそう書いているだろう。
つまり件の文具店で注文か何かをしていたことは俺には秘密の状態だったと推測できる。

 

ちなみに自由帳のカラー絵で使っていた60色セットのクーピーも、あるときクリスマスに急にプレゼントされたものだった。水彩色鉛筆も同じような経緯だったと思う(どちらも欲しいと事前に話したことはあるものだったが)。母はそういうところがある。

 

っつーか、母がそうやって秘密裏にコピックを注文(仮)して「4月の初めに」入学祝いとして買い与えてくれなかったらどうなっていたのだろう。

恐らくこの記事と同時になんか投稿してると思うので気になる人はそっちを読んでもらう方が早いのだが、中学に入って以降俺はどんどん頭がおかしくなっていくので、そうなってからではコピックどころではなかったのではないか?と思わないでもない。
いやまあ、あんな状況でも案外使ってた記憶もあるから、別に何も変わらないかもしれないが。

 

しかしながら、グッドタイミングで注文(仮)した母と、用意してくれた文具店ベリーナイスジャンキー組合だ。何気に今回の重要人物が過ぎる。
100均のマーカーでいいじゃんとか適当言わないお母様にマジ感謝。

 

 

さて、ずいぶん長い記事になってしまったが書きたいことはおおよそ書けたかなと思うのでここいらでお開きにしておく。

冒頭「現状残せる形でまとめた」と、やや不足が残るかもしれないがとりあえずまとめていくしかないか~という意味合いで書いてあったもののそこまで酷いものにもならなかったかな、と。

まあこれをわざわざ読む人(そしてここまで読んだ人)がどう思うか、そもそもいるのどうか書き終わってみるとちょっと疑問に思うが、執筆中は自分が書きたい・表明しておきたいだけで書いていたので弩度外視だった。
なんなら「途中で呆れて読むのをやめて、モタ・Tという面倒くさい存在に近寄るのがイヤになってほしい」という思いが若干ある。

 

こうして記事を出してしまうとなんだか区切りの感覚が強すぎてしまうが、これで終わりではない(重要)(自戒)

予定などを立てるつもりはないがやりたくなったらまた何か投稿するつもりだ。ま~たなんかやってらあ、位の気持ちで流し見して頂けると幸いである。

 

それでは~

 

2025/4/38

2025/5/8

 

 

……とかなんとか言ってたら、早速なんかやってしまったので追記していく。

本文がだいたい書き終わったのが一昨日で、すぐ上の結びの文章を書いたのが昨日の午前中。
さてではこの記事のサムネイルにするための絵を描こう、なんて思っていたら突発的に病院に行くことになり、また絵の調子も猛烈に悪かったので結局昨日投稿することは叶わなかった。

だからといって未完成のものを使いたくないから今日とりあえず何か描こう、と出来上がったのがサムネイルの絵というわけだ。

 

元々描く気でいた物のためにわざわざこんな追記を書く意味が分からない?

 

……思っていた以上に筆が進んでしまったのである。表に出すのは本当に簡単な絵ひとつで終わらせるつもりだったのでまさかこんなことになるとは思いもしなかった……。

なおこの絵に関する裏話などは、ここだと長くなりすぎるのでtwitterで行っている(はず)。

 

そんなわけでほんとうのそれでは~。

 

2025/5/9

 

 

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