小学16年生

   

Pocket

 

本当ならもう少し早い時期に書き始めるべきだった。いやまあ正確に言えばもう3月半ばあたりでちょろっとメモ書きを残してはいたのだが、納得が行かずまとまらずで放置していた。

 

タイトル的に何を書こうとしているのかは察せるだろう。まあだいたい今ぐらいの時期に卒業式があったなあ、それ関連の話をブログかなんかで書こうかな、とちょっと前から思っていたのである。
なお、卒業だのなんだのと言っているが基本「あのころの俺」を意味もなくつらつらと振り返ったり振り返らなかったりするだけだ。気づいたらメモがそんなふうになっていた(無計画)

 

普通に年がバレるが、まあ今までだってなんだかんだTwitterとかではちょろっと言ってしまったりしていたのでまあいい。
なにがなんでもプロフィールには生まれと年齢の数字を明記しないスタイルでやっていくことは変わりないし、俺が永遠の12歳であることは事実だ。

 

 

正直卒業式の中身の記憶はぜんぜん残っていない。
とりあえず泣きはしなかったこと、いわゆる好天ではなかったこと、進学するのがとにかく嫌だったことぐらいしか。

あと当時ピアノを習っていて、5年生ぐらいから既に卒業式で校歌の伴奏をやりたいと思っていたのだがそれは叶わなかった。それ以外の特殊な役目を任されはしたが。

 

むしろ式自体よりよく残っているのは謝恩会の記憶だ。大体が卒業式で着てた服のまま親と来て、ご飯と言うほどじゃないけど色々配られたり小規模な立食パーティーのような雰囲気だった。

当然先生方も来るが卒業式とは全く別の催しだったので普通に3DSを持って行けた。
友達に描いてと頼まれて開催場所の外、廊下にあったソファに座りながら描いたぷよぷよのキャラの絵がまだうごメモのフォルダ内にある(よく知らないんだけどシグ?だったと思う)。

 

おそらく学校在籍時の写真をスライドショーとかにして見たのであろうプロジェクターが壁の前に置いてあって、それに3DSで使っているSDカードを挿しうごメモで作った動画の再生をしたのはかなり記憶に残っている。

当然だが俺の作品を見せるというターンが謝恩会のプログラムの中にあったわけではない。
だからと言って勝手にやったのでもなく、それぞれ自由にしている時にちゃんと先生や周りの大人に許可をとってやったことなので昔のモタ・T自己顕示欲ヤバすぎだろと思わないでくれ。いやまあいまの5000兆倍ぐらいあったのは事実だけど

先生もクラスメイトも俺がうごメモキチガイであることや絵を描くことは当然のように知ってたけど、動いてるものに関しては学校で見る手段がなかったのでこんなん作ってたんだ、と驚かれた。

 

ちなみに、謝恩会を行ったお店はもう無い。

 

 

卒業式が終わった後、その日すぐではないけれどお祝いということで家族で飯を食いに行った。

……文章で書くとどうも仰々しく見えてお高いレストランでも行ったように感じられるが、当然のように3DSを持って行って席でいじれるようなその辺のご飯屋さんである。

 

今年の1月ぐらいに「モタオリの立ちの素材を出したことがある、第3弾まで続いた」という旨のツイートをしたが、ここで注文したものが届くまでの間にその立ち絵素材を見返したり、最新作の第3弾の画面を見ていた記憶がなぜか鮮明に残っている。

なお飯の味とか何食ったかはあまり覚えてない。こないだ家族に確認してそういえばそんなものを食ったな……となる程度だ。母曰くけっこう美味しいお店だったらしい。

てか家族とお祝いで出かけた時にゲームを堂々と弄ってても怒られない家、何?(もちろん飯が卓に届く前よ)

 

ちなみに、そのご飯屋さんももう無い。

 

 

あぁあとちょっと急に話が変わってしまうのだが、長文を出す機会としてちょうどいいし今のうちに書いておきたい。

Twitterでもブログでも「今ぐらいの時期は覚えてないし踏み荒らしたくないからあまり書けることがない」とか言ってたものの、どう書くかと書きあぐねていただけな事柄がある。

10年前、俺は図書室の司書さんととても懇意にしていた。

 

あるとき、司書さんは俺がへんてこりんな創作をしているということを知った。

今思い返すとそんなに面白いか?というほど興味深そうに色々と聞いてきて当時の俺もそれが嬉しかったので、それからは司書さんが出勤される日の休み時間は図書室に通うようになったのだ。

詳しいことは覚えてないけど、年が明けてからはもうずっと入り浸っていたと思う。1月~2月にやたらとキャラが増えたり創作活動が激しくなっているのはこの効果だ。いわゆるモチベーションが上がっている状態だったというわけ。

 

もう何が言いたいかおわかりかと思うが、当然ながらその司書さんはとっくに転任されている。
最近は学校の図書室もデジタルでの管理をするようになっているというので、見た目の面でも相当様変わりしていることだろう。

 

 

※他人が絡むリアルでの出来事ということもあってがっつりいろいろ明言することは避けたくて出してなかったのだが、やっぱりこの出来事におけるブースト力(ぢから)はすごかったし、これがあったから余計卒業もさみしかったということを書きたかった。
なお4月以降にもいろいろあったのだが、今ここで話す事ではないのでとりあえず置いておく。

 

 

俺があのころ習い事に行くために通っていた道も、登下校がキツすぎるため帰りは母に迎えに来てもらって帰っていたあの道も、うちの近所も通学路も、ずいぶん様子が変わった。

思えば10年という年月、家だともう築浅とか言えなくなっているころだ。今使っている洗濯機には使用想定年数が7年と書いてあった。
最近1階のジャーポットが壊れたので買い換えた。買い替え前のポットですら自分が覚えていたものと違って、知らん間に変わっていたものだった。あのにっくき新型コロナが流行り出してからはや5年。アニキのデータをnewLLに引っ越して7年。

 

どれだけ変化を拒んでも時間は過ぎていくのだと自覚する度に生きているのが嫌になる。

そうして恐ろしいほどの時間を無碍にしながら過ごしてきてしまった、と今更ながら思った。

 

命を時間を無駄にした、と思うと、動けなくなる。

それで止まってしまうことこそ無駄なので最近は出来るだけ考えないようにしているが、この恐ろしさと無力感、実際に失った時間が死ぬまで付きまとうのだろうと思うと、なんでこの数年こんな過ごし方をしてしまったんだ、とやはり止まってしまう。

いつか魔法のように時が止められる、戻せる、永遠の命が手に入る、そうでなくとも無駄にしたぶんがプラマイゼロになるぐらいにはよくなっていくはずだいやそうでなければ俺はもう生きたくないどうしてこんな世界に生きなければならない。そう思いながらなにもわからないままできないままただ死なないでいるだけだ。

 

きっと俺より一回りも二回りも何周りも年上の方だったら、人生どうしても後悔する事だってあるさと言いたくなるかもしれない。たかが数年だと言われるかもしれない。人生今が一番若い、とはよく聞く言葉である。
だが成人して2~3年程度で「若いっていいなあ……」とか言っている人間なので、そんなこと言われても、と思う。だからこそ普段こういったものは外に出さないが。

 

俺は完璧主義であるのもそうだがそれ以前にやるべきことがあり、そのやるべきことが人生2回分ぐらいないとどうも終わらないらしいと気付いている。

10代のパワーというのは本当にとんでもない。
19歳で既に人生は折り返しているなんて話を聞いたことがある(19歳までを過ごした時間とそれ以降死ぬまでの体感時間は同じらしい)ので、俺はもう半分以上過ぎちゃったようなもんなのだ。

人生の半分を使ってさらに無尽蔵のパワーが出せるような時期をどん底以下の状態で過ごしてしまった、と気づいてから本当に、何に対してもやる気が出ない。

なお最近はもうこれで最期だと思ってどうにかやっているところがある。

 

前に進めないからと言って変化を拒むことを否定してでも進むのは個人的に許せないので、結局これからも無駄にしながら進むしかないのだと思う。

進学したくない、とあの時思っていたのは、成長も変化もしたくなかったからである。確かに中学に行くのは嫌だったが特段小学校が好きだったかというとそうではない。俺は卒業文集でつまるところ「学校いやでしょうがなかったです」という意味に受け取れ得る文章を提出して先公に呼びつけられた(クソガキ)である。

大人になりたくないという考えはもうずっと変わっていないが、社会の規範や法律に従うならば俺はもう子供ではなく大人でありそれはこの世にオギャーと生まれてそれ以降生き続けているのであれば抗いようのない出来事だ。まあ永遠の12(以下略)

 

なんにでもかならず終わりは来て、生きている限りは始めなければならない。

それでもあのとき、その始まってしまったことから逃げ出して、その後の人生も終わりと始まりを拒んでほとんど無駄にしたのが俺である。
まあその辺はあるのかどうかも分からない次回に譲るとするが。

 

 

とりあえずメモってあった書きたいことも今書けそうなことも尽きたのでここいらで終わりにしておく。なんかもうちょい書きたかった気がして今日まで放っておいてしまったが、とりあえず3月中に出したいので。

 

 

2025/3/31

 

 

 

 

Pocket

 - 10周年関連 ,